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2013年04月24日

『午後の紅茶』ディズニーデザインラベルをパラパラアニメにしてみた!!


『午後の紅茶』500mlボトルに描かれたディズニーキャラクターが、実はコマアニメになっていると話題になっています。各ボトルに描かれた3点のイラストには番号がついていて、順番に見ていくとディズニーキャラクターが動き出す、というもの。どんな動きを見せてくれるのか検証するために、パラパラアニメを作ってみることにしました。

『午後の紅茶』のストレートティーにはミッキーマウスが60パターン、ミルクティーにはドナルドダックが18パターン、レモンティーにはくまのプーさんが18パターン描かれています。


ボトルを回転させながら1本につき3パターンの写真を撮影。ミッキーマウスでは20本、ドナルドダックとプーさんでは6本ずつ撮影し、計96枚の写真からパラパラアニメを制作しました。写真同士でボトルの位置がずれたり光の加減が変わらないように、最新の注意を払って撮影しています。

『午後の紅茶』にプリントされたディズニーキャラを動かしてみるよ(YouTube)
http://youtu.be/Pq7EoK6g4-4



ガジェッタ通信
http://getnews.jp/archives/328589


これは予想以上に動きますねww

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2013年04月23日

【木村秋則】奇跡のリンゴ 宇宙人と会っていた




木村秋則(きむら あきのり、1949年11月8日 - )は、世界で初めて無農薬・無施肥のリンゴの栽培に成功した日本の農家。株式会社木村興農社代表取締役。

生い立ち

1949年に、青森県岩木町(現弘前市)の三上家の次男として生まれた。青森県立弘前実業高等学校を卒業し、首都圏において会社員として勤めていた。

1971年に帰郷、りんご栽培を中心とした農業に取り掛かる。22歳でリンゴ農家の木村家の養子になって美千子と結婚。農薬に過剰反応する美千子をきっかけに、福岡正信の著作『自然農法』を参考にして無農薬のリンゴ栽培を考え出す。農薬をまく回数を年10回以上を5回、翌年には3回、翌年に1回に減らした。収穫量は落ちたが、農薬の経費が浮いたので、収益は悪くなかった。

自然栽培

1978年から本格的にりんご無農薬栽培に挑戦したが、日本の温帯湿潤な気候で無農薬で育てることは困難を極めた。 通常5月中に咲く花がようやく9月に咲き、果実は結実することなく小梅程度の大きさにとどまった。さらに害虫を手作業で駆除するなどの毎日の手入れも相当な労力だった。しかし、それだけ苦労を重ねても数年は実がなることもなく、10年近くにわたって収入のない状態が続く。そのような状況にあっても、自給のために育てた他の作物での無農薬・無施肥栽培において良好な成果をあげつつ、木村は少しずつりんごの栽培方法に改良を重ねていった。

最終的に木村を助けたのは、大豆の根粒菌の作用で土作りを行ったかつての経験だった。土の中の根張りをよくするため大豆を利用した木村のりんごの木は年々状態が上向いていった。1986年にはようやくリンゴの花が咲き、実も通常通りつくに至った。こうして木村が確立した無農薬・無施肥でのりんごの栽培方法は、従来の農家から不可能とされてきたことであり、弘前大学農学生命科学部の杉山修一[1] は「恐らく世界で初めてではないか」と評している。

技術の普及活動

木村は、国内外において自ら確立した技術の普及に努めており、韓国では無農薬栽培を指導した貢献をたたえられ、2009年11月、京畿道名誉市民、聞慶市名誉市民として表彰された。2011年指導した実験田のある石川県能登地域と新潟県佐渡市が国連食糧農業機関(FOA)によって世界重要農業資産システム(GIHAS:ジアス)に認定される。石川県羽咋市では、『第1回全国自然栽培フェアinはくい』が開催された。

このほか西日本では、2010年よりNPO法人岡山県木村式自然栽培実行委員会が木村を招聘し、岡山県の推奨米である「朝日米」の栽培について、自然栽培による農業指導を受けながら生産・流通を始め、2011年には桃の試作栽培にも着手。消費者・生産者の双方へ「自然栽培」の啓発活動を精力的に進めている。






「自殺からの脱出 1985.7/31」









約11年間もかけて無農薬/無肥料の自然栽培農法を実践した木村さんは、日々生きるために、キャバレーの客引きや東京での出稼ぎ、山谷での路上生活と、家族を養うために、必死に頑張る。



しかし、子供の学用品さえ買えなくなってしまいました。

そして、ついに無収入と生活苦に耐えられなくなるほど、経済的にも、精神的にも、肉体的にも健康が破壊され、もうダメだと死を覚悟でロープを持って、夕闇迫る岩木山へ向かいました。

そして、ロープを何度も木の枝に掛けようとしたのに、いくら投げても木の枝に引っかかりませんでした。  

その日は、月夜の景色のステキな日でした。 

その瞬間に月光に輝くリンゴの木を見つけました。(本当はドングリの木でした)

何故不毛の山に…?

いろいろと考えた結果、長い年月をかけて枯葉がたまり、下から順次腐敗して栄養となり、一方では、フワフワの土となって酸素と水を蓄える保水作用、さらに農薬なしで自然に免疫ができて、元気な実のなる木になったのではないかと考え、これだ!!と大発見したとばかりに再びパワーをいただき、無農薬・無肥料のチャレンジが開始されたのです。 
















「UFO/ETI事件 1974〜」







木村秋則さんの自宅の前で、上空約100m位のところに、UFO宇宙船が出現しました。(その事件は無農薬栽培を始める前の出来事) 



その日は、木村さんが家族や親戚、近隣住民に声掛けして、合計9人の方が丸型のUFOを目撃しました。

UFO宇宙船は、木村さんの自宅の屋根の上を横切り、やがてパッと消えてしまいました。

その後も、木村さんの自宅の前に午後7時ころに、いつも出現し、同じパターンで飛行して、最後にはパッと消える現象が何度も繰り返されました。 

そのUFO宇宙船は、オレンジ色で、スローで移動しました。  

木村さんの娘さんが、UFO宇宙船を目撃した時は、直径300m窓もハッキリと確認されました。  

またその後、母船と見られる巨大なUFO宇宙船(ジャンボ・ジェット機よりも大きい)が3度も確認されました。  

さらに、めずらしい丸型のUFOが、チカチカとネオン光に似た点滅発光するUFO宇宙船も自宅庭で目撃されました。

いずれの場合も、南側にある白神山方面から飛んできて北東方面へ去って行きました。



















「Abduction 1990」






1990年、深夜の2時頃、2階で1人寝ていたところ、部屋の窓が突然パッと開き、ロックしている戸も自動的に開いてしまいました。  

以上のUFO/ETIの事件は、無農薬のリンゴ農法で、やっと実りが見られるようになった数カ月後のことでした。    



以下は 木村秋則氏の証言です。

  

よくUFOや宇宙人のことを話すと、そんな話をしないでほしいとか。  

イメージが悪くなるという人がいます。  

しかしそれは、命がけで無農薬・無肥料の自然栽培を生み出した真相や苦しみ、絶望等の分からない人たち、知らない方々だから言えるのです。

私にとっては、UFOや宇宙人、臨死体験(NDE)、龍との出会いは、みんな一緒であり、相互に助け合う中で生まれてきたと思うのです。

私は、工業技術者の卵というか、ナゼどうしてとか物事を科学的に考えるところがあり、無宗教で、神様とか宗教には関心はありません。  

私がUFOや宇宙人と出会ったころは、最も苦しかった時であり、そのような時期に私の自宅やリンゴ畑に出現したのです。

リンゴ畑での仕事も遅くなり、そろそろバイクに乗って帰ろうとした時でした。  

畑の中をものすごいスピード(時速40km/h)で走りまわる2つの生命体が出現しました。 

身長は約150cm位で、黒メッキのような色をした光を出して、ビュンビュンと走り回っているように見えました。  

そして、しばらくして突然消えました。  

私は、直感的に宇宙人だなと思いました。



それから何日か経ってから、また宇宙人が出現しました。

その宇宙人は、ものすごい速さでリンゴ畑を走りまわりましたが、足が地面についていませんでした。 

しかも彼らは、足を動かさずに私のところへ近寄ってきました。

そして、シンシンシンと、とても静かな時に聞こえてくる音の後に、「私たちは、あなたに対して害を加えたりしません。」とテレパシーで伝えてきました。  

コトバではなく頭の中に意味だけを伝えてきたのです。



1990年の深夜2時ころ、2Fで寝ていたら2人のオリオン星人がスッーと入ってきました。  

よく見ると、リンゴ畑で見た目と頭の大きな2人の宇宙人と、まったく同じ姿をしていました。

2人のオリオン星人は、空中に浮いたまま移動しており、全身がやや黒く、2つの目と頭は大きいタイプでした。 



彼らオリオン宇宙人は、スッーと私の部屋へ入ってきて、2人で私の脇を片方ずつかかえて、そのまま窓の外へ連れ出しました。  

そして、上空へと上がり、下にはだんだん小さくなっていく自宅を眺めていました。

やがて、夜の闇の中に楯状の光が見えてきました。 

その光は、オレンジの光で縞模様になっていました。



ここで一度記憶が途切れてしまいました。

次の瞬間、気がつくと、UFO宇宙船内のベンチに座らせられていました。 

そこはとても静かなところで、まぶしい光につつまれた部屋でした。 

室内を見ると照明器具が一つもないのに、天井や壁など、全てのところが明るく、さらに宇宙船の全てがとてもキレイで、大変驚きました。



そのUFO宇宙船内のベンチの右横に、すでに2人の地球人が座っていました。  

私の隣には、白人の若い金髪の女性が座っていて、その隣には白人の若い男性が座っていました。

その白人の男性は、米国の海兵隊の軍人のようでした。 

この2人の男女は一切話をしませんでした。



しばらくするとオリオン宇宙人がやってきて、白人女性を連れて行きました。

その次に、白人男性が連れて行かれました。  

そしてまもなく、2人の宇宙人に先導されて移動しました。

私はUFO宇宙船の各部屋を見ながら行くと 先ほどの白人の方々は、それぞれ各自の部屋で、しっかりした台の上で、裸で寝かされてベルトで固定されているのが見えました。 

2人とも抵抗せずに寝ていました。

そして2人を囲むように、眼の大きい全員が同じ顔・姿をした宇宙人たちが5〜6人で観察していました。



私も同じように観察されるんだろうなと思いました。 

けっして「逃げたい」とか「怖い」という感情はありませんでした。

彼ら宇宙人(ETI)に両脇を抱えられた時から、ナゼか親近感を持つようになってしまいました。  

その後、2人の白人の方々は、観察室から別室へ移動しました。

私は、UFO宇宙船の操縦席へ案内され、そこでUFO推進システムについて「この宇宙船の推進システムは反重力を利用して動く推進装置で行われています。このエネルギー源の物質(厚さ1cm 一辺が20cm位の三角形の黒色の金属)を持って下さい。この物質はKという物で、数グラムで何十年も使えます。」との説明と、黒い物質を手に渡されました。

その物質は大変重いものでした。  

会話は全てテレパシーで行われました。



UFO宇宙船内の天井は、どこまでも高く見えました。 

次に見せられたのは地球カレンダーでした。  

そのカレンダーは ○年○月○日で終了していました。  

宇宙人さんの話では、後数年で終了するとのことでした。

しかし、その終了する年月は、絶対に言ってはならないと厳しく警告されました。 



それが終わると、座って待つように言われました。 

まもなく上の方に窓が見えてきたので、ベンチに立ちあがって窓をのぞくと、都会のような沢山の明かりが見えてきました。 

その後、白人の男女2人が歩いて入ってきました。 

すると、宇宙人さんは3人全員にそれぞれのプレゼントを下さいました。

その物質はとても重く、両手でやっと抱えると言う物でした。

私は、気がつくと2人の宇宙人に両脇をかかえられて、自宅2Fの窓の外にいましたが、そのままスッーと部屋へ戻ることができました。  

そして気持ちがハッキリしたら、彼らはもういなくなっていました。

以上のAbduction体験は、妻の美千子さん以外は、誰にも話しませんでした。

このAbduction事件から5年後、自宅でUFO/ETI特別番組を見ていた時です。

そこに登場した白人の女性は、確かに、あのUFO宇宙船で私の隣に座っていた女性でした。

しかも彼女が言っていた証言内容は、全て一致していました。

そのTVで、Abduction体験をした白人女性のインタビューで次のように証言しました。



「私のほかにも白人男性がおり、米軍の兵隊でした。さらにもう一人、メガネをつけた東洋人の男性が乗っていました。」と証言しました。   


その後2008年に、この女性は私のりんご農園にやってきました。  

その白人の女性によると、私をTVで見たときから、ぜひ一度会おうと決めて、「あのUFO宇宙船内で会った東洋人なのかどうか。自分のUFO/ETI体験は、本当に間違いないのかを確認しよう。」とやってきたとのことでした。

現在、白人女性は日本の長野県に在住しており、今もオリオン星人たちとコンタクトしていらっしゃるとのことでした。

こうして私の妻にしか話していない内容が、実はまったく同じUFO船内の部屋でいっしょに同席してAbduction体験したとする方々がおり、実際に発生した事件であることを確認することになりました。
posted by じん at 17:59| Comment(0) | 気になる食べ物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする