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2013年03月31日

ジョン・F・ケネディはなぜ殺されたのか?犯人は誰なのか?真相は?

▼暗殺の実行

1963年11月21日、アメリカ第35代大統領ジョン・F・ケネディは夫人と共に大統領専用機でテキサス州ダラスを訪れた。訪問の目的は、このダラスで、ある二つの党が対立関係にあり、その調停をすることであった。そして翌日の11月22日には、ケネディ大統領はオープンカーに乗ってダラスの街をパレードする予定になっていた。
だが国民はケネディを支持する人たちばかりではなく、当然反対派もいる。屋根も窓もなく、搭乗者がむき出しとなるオープンカーでのパレードは、狙撃されたり物を投げつけられたりする危険性があるため、ダラス市警察署は、ケネディ大統領に対し、パレードに使う車には透明の防弾カバーをつけるように強く主張していた。

だがケネディは、パレードを通じて市民と親近感を持ちたいということでこの指示を拒否し、予定通りオープンカーに乗ってパレードを行うことにした。翌年の選挙に向けてのアピールの一つの手段でもある。

11月22日、予定通りパレードは開始された。先頭と二番目の車にはダラス警察とシークレットサービスが乗り、大統領の車は三番目にあった。その更に後ろに報道関係者や政府関係者の乗った車が続く。

ケネディの乗った車は、リンカーン・コンチネンタルをリムジンに改造した車で6人乗りである。車の一番後ろの座席にケネディ夫妻が乗り、その前の座席にはコナリー州知事夫妻が乗り、運転手はホワイトハウスのシークレットサービスが務め、助手席にもシークレットサービスが座った。

道路に並んだ市民たちが、様々な言葉を投げかける。支持者たちは歓迎の言葉を、反対者たちはブーイングである。多くの、そしていろいろな人々の歓声の中、大統領たち一行の車は決められたコースを進み、12時30分ごろヒューストン通りに入り、「テキサス教科書倉庫ビル」の前を通過した。だが、その瞬間、事件は起こった。

突然、数発の銃声が響き渡った。次の瞬間、大統領は両手で首を押さえるようなしぐさを見せたかと思うと、そのまま横に座っている夫人の方へぐったりと崩(くず)れ落ちた。次の瞬間には、前に座っていたコナリー州知事が前のめりに倒れた。

次の銃声が聞こえた時、ケネディの頭の上部は吹き飛ばされ、頭蓋骨と脳の破片が後ろの方に飛び散った。ケネディ夫人はすぐに後ろを振り向きながら手を伸ばし、オープンカーの後ろの方に散らばったケネディの頭の破片をとっさに拾った。

「夫が殺された!私の手にあの人の脳がこんなに出てる!」
ケネディ夫人が叫んだ。

この間、時間にして6秒から9秒ほどの出来事である。

街の人たちの多くは、パレードの一環で、爆竹やクラッカーが鳴らされた程度にしか思わなかったが、ケネディ夫人と、その前の座席に座っていたコナリー州知事夫妻は、何か起こったのか、すぐに理解出来た。

「大統領が殺された!」「全員殺されるぞ!」

コナリー州知事が苦しそうに叫んだ。コナリー州知事の背中にも弾丸は命中していた。運転手のシークレットサービスも瞬時に状況を理解し、そのまま全力でダラス市のパークランド・メモリアル病院に向かった。

だが、ケネディ大統領は頭部を破壊され、ほぼ即死状態であった。病院に到着した時にはすでに死亡していた。

ケネディには2発の弾丸が命中していた。一発は頭に、そしてもう一発は首を貫(つらぬ)いていた。ケネディの首を貫いた弾丸が、その前に座っていたコナリー州知事に命中したのだ。

後の調査によると、ケネディに向かって撃たれた弾丸は3発。1発目ははずれ、2発目にケネディの首を貫いてコナー州知事に命中し、3発目がケネディの頭部を破壊した。

(ただしこれは、この事件の報告書としてアメリカ政府が公式採用した「ウォーレン委員会」の報告書に基(もと)づく報告であって、FBIの調査結果はまた違っている。FBIの調査では、1発目はケネディの首を貫き、2発目がコナリー州知事を直撃し、3発目がケネディの頭部に命中したとしている。このFBIの調査結果は「ウォーレン委員会」に提出されている。)

後述となるがこの後、弾丸の詳細に関しては後々議論を呼ぶこととなり、この事件の謎の一つとなっている。



▼犯人逮捕されるも、第三者によって射殺される

犯人はこの日のうちに捕らえられた。テキサス教科書倉庫ビルの従業員であり、その時に6階にいたリー・ハーヴィー・オズワルドという男である。

ただ、オズワルドは、最初はケネディ暗殺事件の容疑で逮捕されたわけではない。オズワルドはたまたまケネディ暗殺事件の1時間20分後に警官殺しの罪で別件逮捕されていた男であった。余罪追求の一環としてケネディ暗殺事件にも触れて追求するうちに、このオズワルドを、ケネディ暗殺事件の容疑者としてもほぼ確定し、その日の夜、再逮捕したのだ。

ハイスピードで実行犯が逮捕され、これで事件の全貌(ぜんぼう)が解明されると思われていた時、事態は急展開を迎えた。

逮捕から二日後の11月24日、オズワルドは刑事たちに囲まれてダラス市警察本部から拘置所に移されようとしていた。ダラス市警の地下通路をオズワルドと刑事たちが歩いている時、突然、ある男が侵入してきて、オズワルドに向かっていきなりリボルバー銃の引き金を引いた。

あっと思う間もなく銃声が響き渡り、オズワルドは数発の弾丸を受けてその場に倒れ込んだ。オズワルドは大統領暗殺の容疑者であるから、この移送の場面は多くの報道陣たちがテレビ中継をしていた。

この生放送の最中に悲劇は起こり、多くのアメリカ国民はオズワルド射殺の場面を見ることとなった。すぐに病院に運ばれたがオズワルドはそのまま死亡した。

オズワルドを撃った男はジャック・ルビーというクラブ経営者の男で、ルビーはその場で逮捕された。結局オズワルドは、事件についてほとんど何も語らないうちに射殺されてしまったのだ。

逮捕されたルビーは、「ケネディ未亡人の代わりに敵(かたき)をとってやろうと思って奴(オズワルド)を殺した。」と語った。ルビーを調査した結果、マフィアとも深いつながりがあり、また、ダラス市警にも何人もの親しい友人がいるということが明らかになった。

ダラス市警の地下通路に、警察関係者でも報道関係者でもないルビーが銃を持って侵入出来たのも、ダラス市警の友人が手を貸したためではないかと言われている。

ルビーは裁判の結果、死刑判決を受けた。

だがルビーは死刑が執行される前にその生涯を閉じてしまう。死刑判決を受けた4年後、ルビーはダラス郡拘置所に収監されている時、ある日突然激しいセキと吐き気に襲われ、その数日後に死亡してしまった。

直接の死因は右肺にあるガンからくる肺塞栓(はいそくせん)だった。しかし後に、ダラス郡検視官が調べてみると、これまでルビーの、ガンの発生場所とされていた膵臓(すいぞう)には何の異常もないことが判明し、『拘留中にガン細胞を移植されたのではないか』との説も浮かび上がった。

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▼ウォーレン報告書

以上の事件の流れは、アメリカ政府が公式見解として発表した報告書に基(もと)づいて文章化したものであ。

ケネディ暗殺事件の調査・報告をメインで行ったのは、事件調査委員会である「ウォーレン委員会」という組織である。ケネディ死亡後に大統領となったジョンソン大統領の指示で結成された組織で、政府公認の組織としてこの暗殺事件の調査に当たった。

この組織の最高責任者がアール・ウォーレンという人物で、この名を取ってウォーレン委員会と呼ばれ、ウォーレン委員会が政府に提出した報告書を「ウォーレン報告書」という。この「ウォーレン報告書」が、アメリカ政府の公式見解として世界に向けて発表された。

ウォーレン報告書が公開されたのは、事件から十ヶ月経った時だった。

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▼ウォーレン報告書の矛盾点

一国の大統領が狙撃されたという大規模な事件であるから、当然、調査を行ったのもウォーレン委員会だけではない。警察やテレビ、雑誌・新聞などのジャーナリストなど、多くの人がこの事件を徹底調査した。

さまざまなジャーナリストたちが独自に調査を行った結果、アメリカ政府の公式見解として発表された「ウォーレン報告書」には、さまざまな矛盾(むじゅん)があることが指摘され始めた。

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1.銃弾

大統領のパレードということで、テレビ局が生中継していたが、狙撃された道路はさほど重要視されていなかったのか、テレビカメラは一台も設置されていなかった。たまたまアマチュアカメラマンであるエイブラハム・サプルーダーという人物が8ミリビデオで狙撃の瞬間を撮影しており、この映像が事件を伝える映像として全世界で放送された。

実際には他にも3人の人たちがビデオで撮影しており、写真を撮っていた人も何人もいたことがその時現場にいた人たちの証言で分かっているが、捜査に使われ、もっとも有名となった映像は、サプルーダーの撮影したものである。

この8ミリビデオは、撮影者の名前を取ってサプルーダーフィルムと呼ばれている。26.6秒で486コマのフィルムで、映画「JFK」にも使われ、日本でも放送されたので、見た人もいるかも知れない。

ウォーレン報告書で、一番の矛盾点となったのは、銃弾に関する問題である。アメリカ政府が公式見解として発表したウォーレン報告書と、実際にテレビで放送されたサプルーダーフィルムとでは内容が食い違っている。

ウォーレン報告書によれば、ケネディの乗ったオープンカーが教科書倉庫ビルの前を通過して少し経った時、そのビルの6階からオズワルドは撃ったとしている。つまりケネディは背後から撃たれたのだ。

しかし狙撃の瞬間を撮影したサプルーダーフィルムを見ると、ケネディ大統領は明らかに前から撃たれている。世界中の多くの人が、この映像を見て確信した。

狙撃を受けた直後、後ろに飛び散ったケネディの頭部の破片を拾おうとして、夫人が後ろ向きになって手を伸ばしている場面が映っている。

また、発射された弾丸も3発とされているが、警察の録音テープを聞けば7発の銃声が確認出来るという。

オズワルドは、教科書倉庫ビルから3発の弾丸を放ったと確定された。1発目ははずれ、2発目が、背後からケネディの首を貫通した。そしてそのまま前に座っていたコナリー州知事の背中をも貫通し、最終的にコナリー州知事の左太股(ふともも)に当たって止まった、とされている。そして3発目がケネディの頭を直撃した。

しかし2発目の、コナリー州知事の背中を貫通した弾丸が、その直下の太股(ふともも)に当たるということはきわめて不自然である。

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2.ケネディの頭部のX線写真

ウォーレン委員会は、ケネディの頭部のX線写真も公開している。その写真は、弾丸が後ろから頭部を貫通したために顔の右半分が激しく破壊されている写真であった。

しかし、事件から20年以上も経った時、「この写真は偽物だ」と主張するジャーナリストが現れた。

このジャーナリストの名はロン・レイトナーと言い、彼の主張は日本でも雑誌「現代」(講談社)の1991年2月号に掲載された。

ロン・レイトナーによれば、これまで公開されていた、「顔の右半分が激しく破壊されているX線写真」は、世間の人々に、ウォーレン報告書が事実であると信じさせるために作られたニセモノの写真であって、本当に事件後のケネディの頭部を写したものではないという。

ロン・レイトナーは、射殺されてから数時間後に撮影された、ケネディの検視の時の本物の写真を手に入れることに成功したと発表している。

その本物の写真によると、ケネディは、「頭」は確かに破壊されているものの、「顔」に関しては、これまで公開されていたX線写真とは全く違い、ほとんど無傷であった。しかも、背後からではなく、前から撃たれたことがはっきりと分かる写真であった。写真に関しては、ウォーレン報告書の内容を完全に否定している。

そして更に、これまで公開されていた、顔が破壊されたX線写真を「作成した」したという人物さえも見つけ出し、直接本人の口から「あの写真は私が作ったものだ。」との証言も得たのだ。

このX線写真が作られた目的は当然、ウォーレン報告書にある「後ろからの狙撃によって頭を撃ち抜かれた」ということに対してつじつまを合わせるためである。

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3.オズワルドは本当に犯人か

ウォーレン報告書によると、3発のうちの2発はオズワルドが発砲したものであると確定された。残りの1発は不確定ながら、オズワルドが発砲したものであろうということになっている。更にスコープ付きのライフルと、使用済みの3個の薬莢(やっきょう)も見つかり、銃身にはオズワルドの指紋がついていた。

オズワルドが直接の実行犯であことは、ウォーレン報告書のみならず、世界共通の事実として残っていることであるが、この根本的なことに関しても疑惑が生じている。

ケネディが狙撃された地点は教科書倉庫ビルをずいぶんと通り過ぎた地点であり、ビルと車まではかなりの距離があった。この距離で、しかも車に乗って動いている標的を撃ち抜くには相当の腕が必要である。

犯人であるオズワルドは、アメリカ海兵隊にいた経験はあるが、4年で除隊しており、このような腕があるとは考えにくい。

また、オズワルドが撃ったという教科書倉庫ビルの窓からでは、木が覆(おお)い茂っており、道路上の車を狙うには非常にやりにくい。更に、オズワルドの使用したボルトアクション方式の銃では5〜6秒の間に3発を連射して正確に的に当てることは不可能に近いという。

オズワルドの放った弾丸は、「1発目ははずれ、2発目にケネディの首を貫いてコナー州知事に命中し、3発目がケネディの頭部に命中した」と報告書には記載されている。
十分に狙いをつけられるのはもちろん最初の1発目であり、5〜6秒の間に3発を連射するとなると、2発目・3発目になるほど狙いは不正確なものとなる。

ウォーレン報告書によると、1発目よりも2発目3発目になるほど射撃が正確になっており、こういった可能性もゼロではないが、それは奇跡に近い。

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4.あの時、ケネディを撃った人物は二人いた

ウォーレン委員会の調査が終了した後、アメリカ下院の特別調査委員会が改めてこの事件を検証し始めた。法医学、音響学、弾道学、写真などに関する専門家に意見を聞き、ビデオや音声を徹底的に分析した結果、1979年に発表された新説によれば、あの時ケネディに向かって発砲したのは2人いた可能性が高いと発表した。

一人はオズワルドということで、ここではウォーレン報告書の内容を認めながら、もう一人は教科書倉庫ビルの下の広場から発砲したが命中しなかった、としている。

実行犯が二人いたということは、共犯者がいたということである。ケネディの殺害を企(たくら)んだ全く関係のない二人が同時に狙撃したとは考えられない。

ウォーレン報告書によれば、犯行は、オズワルドが単独で行ったもので、また、オズワルドを射殺したルビーもまた単独犯であり、両者共にいかなる背後関係も見い出せなかった、と結論づけているが、その説をそのまま信じるジャーナリストはほとんどいない。

狙ったのは一国の大統領という人物であり、オズワルドがもう一人に協力を頼んだという可能性よりも、オズワルドの背後にいた組織が、2人の男に実行を命じたという可能性の方が高い。

しかし当のオズワルドはほとんど何も語らないまま射殺されてしまったので、背後に組織があったのかどうかは不明のままである。この事件をめぐって相当な数の本も出版されたが、そのほとんどはオズワルドが単独犯であることを否定している。

「オズワルドと、もう一人の実行犯は、組織の命令でケネディを殺したが、そのオズワルドも組織の放ったルビーによって殺された。そしてそのルビーも組織の工作によって拘置所の中で不審な死を遂(と)げた。」という説が有力となっている。

結局銃弾に関しては、3つの説があり、

・オズワルドが教科書倉庫ビルから3発を発射した。(公式発表された結果)

・オズワルドが教科書倉庫ビルから何発か発射したが、それと同時に前方からも何者かが発砲し、それがケネディの頭に命中した。(映像からの推測)

・オズワルドが教科書倉庫ビルから2発を発射、それと同時に教科書倉庫ビルの下の広場から何者かが発砲した。(アメリカ下院の特別調査委員会による再調査)

となっており、公式発表されたことが結果として記録に残っているものの、銃弾に関しては不明のままとなっている。

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▼オズワルドとルビーの背後には組織があったのか

実行犯とされているオズワルドは、事件の5年ほど前から政治問題にのめり込み、ソ連に滞在していた時期もある。アメリカの市民権を放棄したいとモスクワのアメリカ大使館に申し出たり、アメリカ軍の情報を提供したいと申し出たりしており、KGBとも接触があったと言われる。

<※KGB:ソ連国家保安委員会。1954年からソ連崩壊(1991年)まで存在したソ連の情報機関・秘密警察。(ウィキペディアフリー百科事典より)>

また、アメリカに戻った後にはKGBが常にオズワルドを監視していたという事実も明らかになっている。オズワルドが何らかの政治団体に所属していたという可能性は十分に考えられる。

オズワルドは逮捕された後、「俺は誰も殺してない! 俺は罠にかけられただけだ!」と、犯行を否定する発言をしているが、その翌日にルビーに殺された。

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また、そのオズワルドを射殺したルビーの方であるが、ルビーはクラブ経営者とはいえ経営状態は悪く、税の滞納が4万ドルも溜まっていた。それがケネディ暗殺の前から急に金まわりが良くなり、暗殺の前日には「これで俺もやっと借金から開放される。」などと言いながら友人たちに札束を見せつけていた。

オズワルド射殺後に逮捕され、ダラス郡拘置所に収容されている間も

「アメリカ政府が発表した報告書は世界中をだますためのもみ消し工作だ。連中は嘘の報告をして俺に全てかぶせようとしているんだ!」と発言しており、「記者会見で真実を話したいのでワシントンに移してくれ。」とも頼んでいる。

また、ルビーはマフィアとも深い関わりがあったことも判明しており、更にダラス警察にも何人かの親しい友人を持っていた。ルビーがダラス警察本部から連れ出されようとしているオズワルドに簡単に近づけたのも、警察署内の友人が手を貸したためだと言われている。

オズワルドとルビーも、背後に何らかの組織がいたかのような発言を残している。

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▼ケネディを狙った可能性のある組織

前述したが、オズワルドが個人的な考えでケネディ暗殺を行ったと考えるものはほとんどいない。そこに政治的な企(たくら)みがあり、組織があり、実行犯としてオズワルドだけが逮捕され、そのオズワルドは口封じのためにルビーに殺された、という説が主流となっている。

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大統領には、暗殺された当時、数多くの敵がいた。

◆白人と同等の権利を黒人に与える公民権法を制定するという案を出して、白人優越主義者(クー・クラックス・クラン = KKK)などの反感を買っていた。

◆ケネディは、選挙の時にマフィアに票のとりまとめを頼んでいたにも関わらず、当選して大統領となってからは、弟のロバート司法長官にマフィアの徹底的な摘発を命じ、マフィアを絶滅に追い込もうとした。
当然、マフィアたちからの怒りを買うこととなった。

◆CIAが中心となったキューバ侵攻が失敗して以来、ケネディとCIAの関係は悪化しており、ケネディはCIAの解体を宣言していた。CIAからも反発を買っていた。

(※CIA:アメリカの諜報(ちょうほう)機関であり、大統領の直轄組織となる。外交や国防に関して必要な情報収集を、スパイを使って行う。そのため、活動内容は不明の点が多い。アメリカ政府から莫大(ばくだい)な予算を与えられ、相当な権限も与えられている。

政府の陰の仕事を実行するような機関で、その業務内容の中には、敵国の指導者の暗殺や、敵国内での情報操作、機密を保持するための証拠物件の抹消なども含まれる。水面下での活動が多いため、さまざまな職業に偽装させて、全世界に人員を配置しているとも言われる。)

◆ケネディの死後大統領となった、当時副大統領のジョンソンが暗殺を企(くわだ)てたという説もある。

確かにケネディが死んで一番得をしたのがジョンソンであるし、ジョンソンならばウォーレン報告書の操作も可能であったが、国家規模の欺(あざむ)きを実行するなら、CIAなどの協力が必要となってくる。ジョンソンの私利私欲でCIAが動くとも思えず、この説は可能性が低い。

◆ベトナム戦争からアメリカ軍の完全撤退を命じて軍産複合体(ぐんさんふくごうたい)から反発を買っていた。

軍産複合体とは要するに、戦争を行うための企業や政府、軍体などの連合体である。戦争と聞けば、破壊、殺し合いという印象が強いが、世の中には戦争があるが故(ゆえ)に儲かる人間もいる。

戦争が長引くほど兵器や戦闘機が売れ、軍人に必要な資材や食料も必要となってくるわけで、戦争のおかげで売り上げが伸びる企業はたくさんある。

戦争によって巨大な利益を上げている企業や政府関係者にとっては、戦争が終結してしまっては死活問題に関わる。軍産複合体にとって「戦争とは金を儲けさせてくれるもの」なのであり、ベトナム戦争から手を引いてもらっては困るのだ。

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いずれも、あくまでも可能性ということである。暗殺だけならば、それぞれの組織が狙撃手を容易することも出来るが、その後の実行犯の殺害、何よりも情報操作がもっとも困難であり、情報に関してはCIAの協力なしにはこの犯罪は成り立たないと言われる。

利害の一致した組織同士のいくつかが手を組み、「ケネディ暗殺・犯人の単独逮捕」という形に持って行ったという説がもっとも可能性が高い。

仮にオズワルドやルビーの背後に組織があったのであれば、それが不明のまま事件が解決されているのであるから、その組織にとっては完全犯罪とも言える。この事件に関しては2039年に極秘文書が公開されることになっている。

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ケネディ暗殺事件の真相を解明しようとするのは危険であると言われる。

27年間の間に、事件の真相を追いかけていたジャーナリストたちや目撃者の20人以上が交通事故や自殺、謎の死を遂(と)げたり、射殺されたり脅迫を受けたりしている。そのうちの、12人は目撃証言を行った人たちである。
posted by じん at 22:16| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月30日

武富士・創業者【武井保雄】前科10犯 在日朝鮮人なのか?

朝鮮組織の巨大収入源はパチンコ以外にもう一つある。
それが消費者金融、いわゆる“金貸し業”である。

まずはどれくらい儲かっているのか、規模を引用してみよう。
 
日本のビリオネア(億万長者)は、在日ばかりです。
武富士の武井さん一人で我等平均的日本人の100万人分の資産があります。

・武井保雄一族 資産総額 9660億円 肩書き「武富士会長」
・木下恭輔一族 資産総額 6720億円 肩書き「アコム社長」
・福田良孝 資産総額 6240億円 肩書き「アイフル社長」
・神内良一 資産総額 3960億円 肩書き「プロミス会長」
           (小学館『世界のタブーが解る本』P83より)

在日朝鮮人は脱税が可能なだけでなく、違法ビジネスを堂々とやれる特権があるため金持ちになりやすい。そして金持ちになった朝鮮人が次に欲しがるものは、「安定と、貴族的な特権」である。

それを実現するために有り余る資金で政治家を買収し、更なる特権を得るための法律を次々に制定させている。これが在日資本家による支配構造である。

さて、「金貸し」というと漠然と“恐い”というイメージはあるものの彼らがどんな商売をしているかは実は消費者金融の利用者にすら比較的知られていない。

それどころかここ何年もの間に、人気タレントを起用した物凄い量の宣伝をテレビ等のメディアに流し続けてきたため、昔と比べ身近なものに感じられるようになっている。世間の景気の悪さに比例して利用者も爆発的に増加し、消費者金融業界は大盛況である。

それは創価学会と同様の在日に有利なもうひとつのメディア支配、具体的には「電通」のせいである。(※電通についてはここでは省略する)

朝鮮系消費者金融の具体的なニュースをいくつか引用してみよう。

粗暴な消費者金融といえば忘れてはならないのが武富士だろう。 武富士を追っていたジャーナリストが盗聴の被害にあったうえに、自宅を不審火で燃やされた事件はご存知の方も多いだろう。

この武富士の盗聴事件では電気通信事業法違反罪で、武富士前会長の武井保雄被告(74)に懲役3年、執行猶予4年の有罪判決が下った。が、結局3億円の保釈金をあっさり払って保釈されている。

この手の輩は逮捕されづらい。逮捕してもすぐ出てきてしまう。その意味で盗聴事件は根の深いものだった。

ワンマン経営で知られるこの武井という男は手段を選ばない指示を常に出し続けていた。こんなことまで言っていたという。
 

■武富士:武井容疑者「右翼、暴力団、警察使え」と処理法指示

2003-12-06-03:00

消費者金融最大手「武富士」をめぐる盗聴事件で、元総務部課長の中川一博容疑者(42)が、同社会長の武井保雄容疑者(73)から「右翼、暴力団、警察の三つをうまく使って収めろ」と、トラブル処理を命じられていたことが分かった。警視庁捜査2課は、武井会長が盗聴だけでなく、同社と暴力団などとのトラブル処理についても直接、指示していたとみて、実態解明を進める。

調べなどによると、中川容疑者は、94年11月に武井会長直轄の組織として発足した「渉外部」に所属。4人で暴力団や右翼団体、総会屋とのトラブル処理を担当していたことを認めている。武井会長は中川容疑者らに「よく覚えておけ。右翼は暴力団に弱い。暴力団は警察に弱い。警察は右翼に弱い。この三つをうまく使って物事を収めるのがお前たちの仕事だ」と、口ぐせのように言っていたという。

逮捕前の毎日新聞の取材や公判での供述で、中川容疑者は、同社に接触や攻撃を図る右翼や暴力団のメンバーについての情報を警察から入手していたことを認めている。武井会長から「警察とは仲よくしておけ。便宜を図れ」と指示され、警察官らにビール券を届けていたという。

一方で、暴力団や右翼団体との関係を保つため「機関紙など出版物に対する『購読代』名目で、3万円から50万円程度の利益供与をしていた」「右翼に賛助金として500万円払った」などと話し、支出は武井会長の了承をもらっていたと説明していた。

中川容疑者が持ち出した資料が流出したことで、警察との関係などが発覚。警視庁は7月に警視正(当時)1人を地方公務員法(守秘義務)違反容疑で書類送検するとともに、この警視正ら3人を警視総監訓戒などの懲戒処分とし、現職職員9人を厳重注意としている。

[毎日新聞12月6日]
 
右翼は暴力団に弱い。
暴力団は警察に弱い。
警察は右翼に弱い。
この三つをうまく使って物事を収めろ。

……見ての通り武富士は工作手法まで他の朝鮮系組織と同じである。
(ちなみに右翼団体の構成員も在日朝鮮人である。その目的は「愛国心」のイメージを落とすこと)

創価学会と同じように適当な名目で利益供与して他組織との関係を維持し、統一協会と同じように右翼や公権力などに金を払って他組織の力を利用する。
 
有名なところでは、武富士が朝日新聞に「編集協力費」の名目で5000万円もの“裏広告費”を提供していた事件を思い出す方も多いのではないだろうか。
 

■武富士盗聴事件 中川被告「右翼に多額賛助金」 東京地裁公判

消費者金融最大手「武富士」をめぐる盗聴事件で、元同社総務部課長、中川一博被告(43)の公判が20日、東京地裁(服部悟裁判官)で開かれ、中川被告は「前会長の武井保雄被告(74)から指示を受け、98年以降ファミリー企業からねん出した現金5000万円から1億円を賛助金として右翼団体などに手渡した」と供述した。

弁護側の被告人質問で供述した。中川被告は「最大で1億円をファミリー企業からねん出し、相手先に届けたこともあった」とも述べた。(毎日新聞)


盗聴事件にとどまらず、右翼との繋がりもあるのが危険なところである。ちなみに会長が部下に盗聴を指示しはじめたのは「12年前から」だという。これ以外にも武富士はとにかく黒い記事が多い。

委任状が偽造されたとか、完済後も無知な人を巧妙に騙して取り立て続けたとか、氏名や住所、貸付残高などの個人情報が社外に流出したりとか、調停を無視して違法な取り立てをしたりとか、年金生活者に長期にわたって支払義務のない親族の支払いをさせたりと枚挙に暇がない。

こういった危険な企業で働く社員も大変である。ノルマが達成できなければ支店長でも一般社員に降格され給与も半減。檄や降格で恐怖心を植えつけられるので「どんなことをしてもノルマを達成しなければならない」という状況に追い込まれる。

土曜日曜や深夜の出勤も命じられ、会社はそれを休み扱いにして賃金を支払わなかったり、営業時間中に2時間ごとに本社に呼び出されたり、ノルマを達成できなかった場合2〜3時間罵声を浴びせる「研修」を強いられ、その後、武井保雄会長の念頭の辞を30分、怒鳴り声で唱えさせられたり、上司に肩と腰を押され、開けっ放しになっている5階の非常口のドアまで押され命の危険を感じた者もいるという。

それだけではない。元社員の告白によれば個人所有の携帯電話や預金通帳をも会社に調べられ、友人の電話番号や住所まで勝手に書き写されたというのである。しかも社員の自宅にも盗聴器をつけることがある。

時事通信によれば、社員宅が不在であることを確認した上で管理人に家の鍵を開けさせ、コンセントに盗聴器を仕掛けていたのである。盗聴、詐欺、右翼を使った威力行動、弱者への脅迫的な威圧、人を都合のよく操作するための教育、手段を選ばないスパイ行為。そして公権力への賄賂。朝鮮系企業の体質は、これまでみてきた朝鮮人の性質そのものである。
ここまで見てきたように、在日産業はかなり大胆に歪んだ業界である。しかし歪んでいるがゆえに、一般の日本企業が羨むほどに、儲かる。

日本の長者番付をを見たことがあれば、「日本の人口のたった0.5%しかいない朝鮮人」がランキング上位を軒並み埋め尽くし、常に利益を独占し続けているのがよくわかるだろう。上位に居並ぶパチンコやサラ金で儲けている人間は、ほとんどが帰化朝鮮人か在日朝鮮人のどちらかである。

しかもランキングに入っていない「帰化してない在日」も多く、その中には例の税金そのものを払ってない者もいるのである。盗聴事件で有罪になった武富士前会長の武井保雄とその一族は世界長者番付で62位、昨年に続いて日本人として2位になっているのだが、その会長の長男が会長夫妻から99年に財産を譲り受けながら贈与税の申告をしなかったことが東京国税局に指摘されている。その際、不当に儲けた金額はなんと1600億円を超えていたという。

贈与税の申告漏れだけで1600億円…。
個人でイージス艦を買っても釣りがくるほどの莫大な金額である。

『フォーブス』の2005年版長者番付における日本在住者の25人をみてみよう。
(数字は資産の多寡の順位。$1=\100の単純計算)
 
1.佐治信忠    5800億円【サントリー】
2.福田吉孝    5600億円【アイフル】(サラ金)
3.武井保雄    5500億円【武富士】(サラ金)
4.糸山栄太郎   4900億円【新日本観光】
5.木下恭輔    4700億円【アコム】(サラ金)
6.毒島邦夫    4700億円【サンキョウ】(パチンコ)
7.岩崎福山    4400億円【岩崎産業】
8.孫正義     4300億円【ソフトバンク】
9.堤義明     3700億円【西武鉄道】
10.森章      3200億円【森ビル】
11.柳井正     3200億円【ユニクロ】
12.伊藤雅俊   2900億円【イトーヨーカ堂】
13.重田康光   2600億円【光通信】
14.滝崎武光   2600億円【キーエンス】
15.船井哲良   2300億円【フナイ】
16.吉田忠裕   2300億円【YKK】
17.神内良一   2200億円【プロミス】(サラ金)
18.山内薄     1800億円【任天堂】
19.岡田和生   1700億円【アルゼ】(パチンコ)
20.辛格浩     1700億円【ロッテ】
21.福武總一郎  1500億円【ベネッセ】
22.大島健伸   1400億円【SFCG ※旧:商工ローン】
23.盛田英夫   1300億円【ソニー(レイケイ社長)】
24.馬渕健一   1200億円【マブチモーター】
25.韓昌祐     1100億円【マルハン】(パチンコ)

以下省略
武井 保雄(たけい やすお、1930年(昭和5年)1月4日 - 2006年(平成18年)8月10日)は、日本の実業家。消費者金融・貸金業武富士の創業者、元会長。

1930年、埼玉県深谷市で父・武井濱次郎、母・まさの元に生まれた。実家は生活雑貨などを扱う小さな商店で、ほとんど母が一人で切り盛りしていた。小学3年生の頃、父親が近所の女性と大阪に駆け落ちした。

1944年(昭和19年)に明戸国民学校の高等科を卒業すると、熊谷の陸軍の整備員となったが、間もなく敗戦を迎えた。戦後は国鉄職員として大宮駅に勤務した後、東京でビルサッシの工事を営んでいた叔父を頼って上京。建設業、野菜の行商など職業を転々とした。その後、公営住宅の主婦を相手に団地金融と呼ばれる高利貸し業を始めた。
1966年(昭和41年)に武富士の前身である「富士商事」を板橋区蓮根に設立した。

2003年(平成15年)12月、ジャーナリスト宅盗聴事件に関与したとして電気通信事業法違反で逮捕され、武富士会長を辞任。2004年(平成16年)11月、懲役3年 執行猶予4年の有罪判決を受けた。

2006年8月10日、肝不全のため死去。享年76。長男は武富士元専務の武井俊樹、次男は同社副社長の武井健晃。

生前買収したオランダ法人に自己の保有する武富士株を売却、このオランダ法人の株を当時香港に在住していた長男・武井俊樹が取得するという方法で巨額の相続税を免れようとしたが、国税庁当局から1300億円の追徴課税が課せられた。

この課税処分を不当として俊樹が行政訴訟を起こし、地裁で勝訴、高裁で逆転敗訴、最高裁で逆転勝訴となった。高裁敗訴後に延滞税などを含め約1585億円を納付して上告したため、課税処分の取り消しにより、利子にあたる「還付加算金」を上乗せした計約2000億円の返還を国から受けた。

語録

「3倍遊ぶために3倍働け」
「右翼は暴力団に弱い。暴力団は警察に弱い。警察は右翼に弱い。この三つをうまく使って物事を収めろ」


「“サラ金の帝王”武富士社長武井保雄の正体と我が戦い」

− 盗聴事件で遂に倒した社会悪 −

2004/2

ワールドフォーラム2月例会のご報告

フリージャーナリスト 山岡 俊介 氏

今年で四半世紀にもなろうという歴史のワ−ルド・フォ−ラムですが、2001年8月に外資モルガン・スタンレーの不良債権買取会社KGIの実態についての調査を講演をして戴いたことのある、当会ではお馴染みのフリージャーナリストの山岡俊介氏が、昨年大手サラ金武富士の社長武井保雄にずっと盗聴され続けたことで、同社の度重なる犯罪の数々とその反社会性を暴き、遂に武井逮捕に漕ぎ着け一躍社会に勇名を轟かせて「時の人」となりました。

そこで長年「財界展望」「実業界」「噂の真相」「創」「サンデー毎日」「ベルダ」「週刊大衆」等の月刊誌や週刊誌の調査報道で、真実を追究・告発し続け、圧力に屈することのない「真のジャーナリスト魂」を有した勇気ある フリージャーナリスト 山岡 俊介 氏 をお招きして 「"サラ金の帝王"武富士社長武井保雄の正体 と 我が戦い - 盗聴事件で遂に倒した社会悪 -」というテーマでお話戴きました。

山岡俊介氏は、2000年10月末に発売された雑誌「別冊宝島」で大正生命保険をめぐる詐欺事件の検証記事で 逮捕された投資会社社長の金主として武富士を「T社」と表記して取り上げたのを、当時11,000円前後して 自社株の株価が11月終わりに半額の5,000円前後に暴落したのを、山岡氏らジャーナリスト等の仕業と曲解し批判的な記事に敏感となっていた武富士側が株価の大暴落で経営上の不安感や焦燥にかられて過剰反応し、12月14日から2001年2月24日まで山岡氏宅を組織的に盗聴されました。

それは、実行犯の担当者だった元課長中川一博が、懲戒解雇された際に持ち出した内部資料の中に、盗聴記録や盗聴テープがあったからでした。山岡氏は、記事をめぐり同社と宝島社と共に訴訟係争中でもあり、宿敵であった武井保雄とは「タブーなし」「強い者イジメ」の精神で、この提供された44本の盗聴テープや資料をもとに電気通信事業法違反容疑で武井会長らを警視庁に刑事告訴致しました。

その結果、武井会長本人と「腹心中の腹心」小瀧元専務が逮捕され、同社は家宅捜索・強制捜査が入り暴力段との深い関係や警察内部との「犯罪暦情報漏洩等の癒着へと同社の背後関係にまで捜査が及ぶに到りました。

サラ金から消費者金融と名前は変わり経団連にまで迎えられた高利貸の武富士の正体とは何だったのか。外資とともに、健全な日本経済を侵食して食い荒らしてきた暴力団や裏社会・闇勢力の実態が、この事件をきっかけに明らかになることは、「日本の再生」への原点です。勇気ある山岡俊介氏の決起を称えると共に、直接ご本人からその調査結果を報告して戴きました。



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2013年03月28日

【Kiyomizudera】 Temple kyoto History Gallery

Kiyomizudera (清水寺, literally "Pure Water Temple") is one of the most celebrated temples of Japan. It was founded in 780 on the site of the Otowa Waterfall in the wooded hills east of Kyoto, and derives its name from the fall's pure waters. The temple was originally associated with the Hosso sect, one of the oldest schools within Japanese Buddhism, but formed its own Kita Hosso sect in 1965. In 1994, the temple was added to the list of UNESCO world heritage sites.

Kiyomizudera is best known for its wooden stage that juts out from its main hall, 13 meters above the hillside below. The stage affords visitors a nice view of the numerous cherry and maple trees below that erupt in a sea of color in spring and fall, as well as of the city of Kyoto in the distance. The main hall, which together with the stage was built without the use of nails, houses the temple's primary object of worship, a small statue of the eleven faced, thousand armed Kannon.

Behind Kiyomizudera's main hall stands Jishu Shrine, a shrine dedicated to the deity of love and matchmaking. In front of the shrine are two stones, placed 18 meters apart. Successfully finding your way from one to the other with your eyes closed is said to bring luck in finding love. You can also have someone guide you from one stone to the other, but that is interpreted to mean that an intermediary will be needed in your love life as well.

The Otowa Waterfall is located at the base of Kiyomizudera's main hall. Its waters are divided into three separate streams, and visitors use cups attached to long poles to drink from them. Each stream's water is said to have a different benefit, namely to cause longevity, success at school and a fortunate love life. However, drinking from all three streams is considered greedy.

Other structures on the spacious temple grounds include the Okunoin Hall, which resembles the main hall on a smaller scale and has also a stage. Near the Okunoin are halls dedicated to Shaka Buddha (the historical Buddha) and Amida Buddha, as well as a small hall with nearly 200 stone statues of Jizo, the protector of children and travelers. The three-storied Koyasu Pagoda stands among the trees in the far southern end of the temple grounds, and a visit is said to bring about an easy and safe childbirth.

Around the entrance of Kiyomizudera, outside the paid area, stand various other temple buildings, including a vermilion three storied pagoda, a repository for sutras, large entrance gates and the Zuigudo Hall which is dedicated to Buddha's mother and where against a small entrance fee you can wander the pitch black basement that symbolizes a mother's womb.

Part of the fun of visiting Kiyomizudera is the approach to the temple along the steep and busy lanes of the atmospheric Higashiyama District. The many shops and restaurants in the area have been catering to tourists and pilgrims for centuries, and products on sale range from local specialties such as Kiyomizu-yaki pottery, sweets and pickles to the standard set of souvenirs.

The Higashiyama district together with Kiyomizudera, Yasaka Shrine and other temples in the area, have special evening illuminations during the annual Hanatoro event held in mid March. Kiyomizudera also has special illuminations during the autumn leaf season in the second half of November.

Hours: 6:00 to 18:00
Closed: No closing days
Admission: 300 yen

Spring and Fall Illumination
Hours: 18:30 to 21:30 (mid March to mid April and mid November to early December)
Admission: 400 yen

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Kiyomizu-dera was founded in the early Heian period. The temple was founded in 798, and its present buildings were constructed in 1633, ordered by the Tokugawa Iemitsu. There is not a single nail used in the entire structure. It takes its name from the waterfall within the complex, which runs off the nearby hills. Kiyomizu means clear water, or pure water.

It was originally affiliated with the old and influential Hossō sect dating from Nara times. However, in 1965 it severed that affiliation, and its present custodians call themselves members of the "Kitahossō" sect.

The main hall has a large veranda, supported by tall pillars, that juts out over the hillside and offers impressive views of the city. Large verandas and main halls were constructed at many popular sites during the Edo period to accommodate large numbers of pilgrims.[8]

The popular expression "to jump off the stage at Kiyomizu" is the Japanese equivalent of the English expression "to take the plunge".[5] This refers to an Edo period tradition that held that, if one were to survive a 13m jump from the stage, one's wish would be granted. Two hundred thirty-four jumps were recorded in the Edo period and, of those, 85.4% survived.[5] The practice is now prohibited.[5]

Beneath the main hall is the Otowa waterfall, where three channels of water fall into a pond. Visitors can catch and drink the water, which is believed to have wish-granting powers.

The temple complex includes several other shrines, among them the Jishu Shrine, dedicated to Ōkuninushi, a god of love and "good matches". Jishu Shrine possesses a pair of "love stones" placed 6 meters/20 feet apart, which lonely visitors can try to walk between with their eyes closed. Success in reaching the other stone with their eyes closed implies that the pilgrim will find love, or true love. One can be assisted in the crossing, but this is taken to mean that a go-between will be needed. The person's romantic interest can assist them as well.

The complex also offers various talismans, incense, and omikuji (paper fortunes). The site is particularly popular during festivals (especially at New Year's and during obon in the summer) when additional booths fill the grounds selling traditional holiday foodstuffs and souvenirs to throngs of visitors.

In 2007, Kiyomizu-dera was one of 21 finalists for the New Seven Wonders of the World. However, it was not picked as one of the seven winning sites.








posted by じん at 22:31| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする